・「不気味ですか?「人間そっくり」」(9月18日の朝日新聞夕刊科学面より)
ロボットは見かけが人間に近付くほど不気味になるという記事。1970年代に発表された森政弘・東工大名誉教授の論文では、人間は、おもちゃの人型ロボットよりも人間に似たロボットを気味悪く感じるが、それを通り越した人間と見分けが付かないロボットなら気味悪さは感じようがないとしている。
記事の中で、大阪大の石黒浩教授は、
人が、無意識のうちに人間と思ってしまうようなレベルのロボットをつくるのが目標。そこまですれば、社会に受け入れられるでしょう
と語っている。
うーん、そうかなあ。今でも人間は世界中で、肌の色の違いどころではなく、外見的にほとんど同じ種族でも何らかの差異を探し出して差別しようとしている。大多数の人間が親和感を持てるロボットの開発ってありえるのかな。日本人に受け入れられるロボットは、別の国の人につまはじきにされたりして。
記事では、こうした研究に対して論評はせず、
人間は、見かけがよりリアルなものに対して、「違和」への感受性が敏感になる、という特性を持っている可能性がありそうだ。
とまとめている。
こういう記事を読むと、アイザック・アシモフの「ロボットもの」(最初の作品は何と1940年!)がいかに鋭い洞察力に富んだ作品であったか、今さらながら驚かされる(というか、現実の科学者が彼の著作に影響を受けてきたという面も大きい。先述の森政弘氏もアシモフの作品を読んでいたのではないかな)。
『われはロボット』(公開中の映画『アイ,ロボット』の原案)や『ロボットの時代』では、まだロボットのほとんどは完全な人型ではないが、人間とロボットが共存する社会が築かれつつあった。しかし、その後数百年を経た『鋼鉄都市』、『はだかの太陽』(これらの作品はミステリ)の時代では、人間に似すぎたロボットは人間に反感を持たれ、地球上からは姿を消す。その後、「銀河帝国もの」へ向かう中でロボットは歴史の裏側に身を潜めていく……(『ファウンデーションの彼方へ』(上)(下)でロボットものと銀河帝国ものがつながってくる)
はじめて『鋼鉄都市』を読んだ小学生の時には、人間側のあまりに過剰な「反」ロボット意識にとまどったが、その後これはかなりリアルな近未来描写、そして人間批評ではないかと思うようになった。
アシモフのロボットもの、銀河帝国もの、そしてファウンデーションものは、読まずに死ぬと人生を3割は損したことになるので、早めに読んでおいた方がいい。
そうそう、ロボットものの集大成『コンプリート・ロボット』がいつの間にかソニーマガジンズからひっそりと(私が気付かなかっただけですが)発売されていた。『われはロボット』や『ロボットの時代』の作品はすべてこれにも含まれている。日本では創元SF文庫の『聖者の行進』にしか収録されていなかった「バイセンテニアル・マン」(映画『アンドリューNDR114』原案)や単行本未収録作品も含まれており、これからロボットものをまとめて読むならこれがオススメだ。